2014年3月9日日曜日

DiVaさんのアルバム発売記念ライブ!

昨夜は神戸・旧グッゲンハイム邸にてDiVaさん「うたがうまれる」リリース記念ライブを拝聴していました。お洒落な異人館の洋室で聞くクリアで伸びやかなMakoringさんの歌声はまさに「詩」そのものとして、今まで知らなかった詩でさえ、抑揚や説得力をもって確実に心に届いてきました。



旧グッゲンハイム邸。残念ながらピンぼけ・・・汗


多くの楽曲を支えていたのが鍵盤の谷川賢作氏やベースの大坪寛彦氏の曲。文字で詩を読むだけではなかなか感じるのが難しい言葉の質感や息遣いが見事に表現されていて・・・。旋律や間、リズムといった要素が絶妙に絡みあっているのかな。安定と創造性の両方を感じる魅力的な曲たちでした。

確かさの中に遊びや楽しみをも感じる谷川賢作氏の鍵盤演奏に見入っていたのですが、奥にいらしたベースの大坪さんもとても気になりました。MCで一切喋らず寡黙なイメージですが、ちょっと見慣れない形をしたベース楽器をはじめウクレレもリコーダーも演奏、作曲もするというマルチっぷりです。

オープニングアクトで登場した日吉トリオさんたちも独特の演奏をされていました。あの臨場感やエネルギーのようなものは即興性の中で生まれてくるのかな…等と思いつつ聞いていました。谷川尚弘さんのメロディカはまるでサックスのように歌っていました。野津さんのギターのしっとりした音色にも惚れぼれ。

最後には彼ら全員のコラボ演奏。不思議なものがいっぱいくっついた謎のタイコマンさんも登場しました。「かぼちゃ」という曲は特に盛り上がり、それまでじっくり静かに聞いていたお客さんでさえ思わずリズムを取ってしまう楽しさ。演奏家全員がとても楽しんでいて、それが観客にも広がっていく。なんとも素敵でした。

閉演後は思いもよらず谷川賢作氏とお話しさせて頂けて感動。ついつい個人的な悩みが出てしまう僕に励ましの言葉を下さり、本当に感謝しています。頑張らなくちゃ。そのほか笑顔が爽やかな日吉氏&谷川尚弘氏と写真を撮って頂いたり、謎の多いタイコマン氏に自作の独特な太鼓を見せて頂いたり。

つい長々と書いてしまいました。神戸の海に臨む美しい異人館で音楽にあふれた夜を過ごせて、とても幸せでした。最後にピンぼけしてない洋館の写真を一応。全体が写ってないのですが・・・。汗

1階部分が会場。すぐ手前に線路があり、その向こうは海。


さて最近は初音ミク2作目を鋭意制作中です。って前も書いた気がするのですがその後難航してしまいまして、一旦保留していました。今回はpiapro等で活動している方のある歌詞を気に入ってしまい、ぜひ楽曲化できないかと模索しているところです。完成しましたらまたここでも報告したいと思います。

2013年11月1日金曜日

なぜ洗い物を洗う気にならないのか

なぜ台所の洗い物はたまればたまるほど洗うのが億劫になるのか考えてたんだけど、一つ仮説を思いつきました。

洗い物がたまっている、つまり色んな器がシンクに重ねて置かれているわけだけど、たいてい一番上の食器の中に箸とかスプーンとかお玉とか刺さってるんだよね。彼らのせいで、ぱっと見、とても複雑な図形に見えるわけです。いくつもの円と線たちが入り組んだような。すると、この図形はほどくのがとても困難だと思えてくる。手をつけたくないどころか見るのさえ嫌になってくる。そう、原因は洗い物という図形の複雑さなのではないかということです。

ということは、ですよ。こいつらを取り除いてやればいいのではないか、と。試しに、箸とスプーンとお玉を全て洗って取り除いてみたところ驚きの事実が。なんとそこには「円」しか無かったのです。

私はまるい器しか持っていません。いくら洗い物が増えてもひたすら円が増えていくだけなのです。おまけにウチのシンクは狭いため大きいものは下、小さいものは上になるように重ねるのが習慣になっています。つまり残った器は同心円になっているわけですね。箸やスプーンたちを洗う前と比べたら、途方もなく美しい図形ではありませんか。

たまねぎの皮を、白菜やキャベツの葉を、外側から順番にむいてゆくのって楽しくありませんか。今や洗い物たちも既にそれと同じ状態にあるのです。俄然洗う意欲が湧いてきました。洗い物は難なく終了。ついでにシンクの掃除までしてしまい、流しはピカピカ。最高のキッチン・ライフ。

……と勢いよく書いてしまいましたが、洗い物が嫌な時はスプーン1個洗うのも嫌なわけで、さっぱり解決になっていませんでした。無念。


さて最近の活動ですが、ミク次回作と某映像作品へのサウンドトラックを鋭意制作中です。ニコニコには3年前の自主制作映画のサントラを1曲あげております。ゆっくりになってしまいそうですが過去作も随時追加してゆきたいと思っておりますので、よろしくお願いします。


2013年9月8日日曜日

「歌詞が思いつかない (´・ω・`)」 piapro にアップしました



piapro には素敵な歌詞を書いている方がたくさんいらっしゃるんですね。
カシオモ(勝手にタイトル略してみました)の歌詞は現在の私の切実な気持ちですが、こういう仕組みがあるのならぜひ他の方と一緒に作品づくりをしてみたいものです。

【初音ミク】歌詞が思いつかない (´・ω・`) powered by ピアプロ


2013年8月11日日曜日

初音ミク処女作!& ニコニコ動画って

お久しぶりです(まだ2回目やけど)。

初音ミクを先日試してみました。歌詞が思いつかないので、気持ちをそのまま「歌詞が思いつかない!助けて!」という内容の歌にして投稿したところ「だれか助けてやってくれ… (´・ω・`) 」と早速スポンサーになって下さった方が。温かいニコニコ民に本当に感謝です。ニコ生の「世界の新着動画」でも紹介され、おかげさまで2日たらずで287回再生(2013.8.12-0:08現在)と、驚いていますがとても嬉しいです。


そしてそして、ニコニコ動画ってすごいね。コンテンツツリーとか広告制度とか新着動画生放送とか、コンテンツを広げる仕組みがたくさんあるんやねー。便乗(?)して過去のDTMを1曲あげてみたら、これも新着動画で紹介されたようで突然40回以上再生されていて、ネットの力の規模を感じました。

ただ逆に、人の心を動かすようなものでないとある程度以上の拡散は期待できないということも実感。如実に「人気」が反映されるネットの世界、処女作で何万再生もされている方もいらっしゃって、少しでもそれに近づきたいなっていう淡い夢を抱いてみたり。


これを機に、ボカロのみならず色んな曲を作っていけたらと思います。
件の曲たち、ここに貼っておきますのでよろしければ (^^)




2013年7月20日土曜日

制約こそ動機になる

伝えたいものがあってこそ作品づくりが始まる、とよく言われるけれど、僕は音楽の中で何かを伝えたいわけでも、何かを伝える手段に音楽を選んでいるわけでもない。あえていうなら単純に音楽を作りたい、いや、音楽そのものを伝えたいのだと思う。

歌を作ろうとしても曲先にすると昭和歌謡曲かエセ合唱曲になってしまうし、気の利いた歌詞を思いつくわけでもない。だから歌を作ろうとしても気がついたら挫折している。
ふと耳に流れてきて心に留まった旋律をただ自分の快感を求めて展開すると、大編成のオーケストラ向けの長大曲になってしまう。…なってしまう、といえば聞こえはいい。実際は頭の中でそうなっているだけで、譜面を完成させたり打ち込みを終える前にこんがらがってしまって挫折する。だから僕の作曲フォルダには、何やら壮大な曲が始まるなりオケが突然ぷつっとストライキするようなプロジェクトばかり転がっていて、滅多にその完成をみない。旋律メモはノート何冊にも及ぶが終止線などまだ数本しか引かれていないと思われる。

そういう僕にとって、作る動機となる重要な要素が「制約」だ。主にアマチュアの自主映画に音楽をつけてきたために、何分何秒で、このシーンに合う、こういう雰囲気の音楽、という作り方に慣れているからかもしれない。
演劇の仕事をさせて頂いたときは、具体的な制約に加えて、演技が完成しない段階の脚本であったり、何秒で通過するか本番まで分からないシーン所要時間といった曖昧な制約が制作を苦しめた。

それでも、その制約(ときには曖昧であらねばならないという制約)の中で最大限に良いものを、クライアントに満足して頂けるものを作ろうとすることが、そしてさらにミクロなところでは、BGMであり演劇サントラであることを踏まえた上でなお一つの独立した音楽作品にしたいという気持ちが、逆に作曲に向かう姿勢をより前のめりにした。
映像作品の場合も、何分何秒で誰々がこうする部分に合わせてこの音を…という制約が逆に音楽の輪郭や区切れを作っていく。

一見たいそうなことを書いてしまったが、僕はまだ駆け出しの音楽家にさえなれていない。経験を積まねば、そしてそれを持って自分を売り込まねばならない。頭に流れてきた旋律が終わりを見せないならば、自分に制約、あるいは注文や仕様を課してなんとしても完成させねばならない。だからもっともっと、できれば他人が関わるような形で活動していかなくてはならない。
残念ながらこの春から長い無気力状態が続いていて、今まで大好きだったものまで切り捨ててしまう有様だけれど、そこまで堕ちてもなお音楽だけは好きだと断言できる。そろそろ起き上がって、少しずつでも、また活動できたらいいなと思う。まだ「できたらいいな」の段階だから重症だけれど。始めなきゃ、始まらないものね。

初投稿にして長文失礼しました。